笑顔で過ごす🌼60代主婦の優待生活と日常のエピソード

阪神・淡路大震災 ハイツが建つまで その4。

ハイツ その3」の続きです。

前回はまだハイツになる前の、2階建て借家の地代や住人について書きました。

今回はその時のお家賃です。

前回も触れましたが「統制令」に掛っていた為に

お家賃は国の定められた基準が有り、低く抑えられていました。

1995年の震災当時で、大きい方の借家が、月7万円程

小さい方が2万円位でしたね。合わせて9万円です。

しかし、前回に書いた様に、この土地は借りているので地代が要ります。その当時で3.5万円です。

阪急電車「王子公園駅」徒歩10分、天城通り商店街に徒歩5分

小学校にも徒歩5分と生活するのには、抜群の立地条件だと思います。

安いですよね。50坪の土地代が月3.5万円とは・・・。

これも「統制令」のお蔭では有りましたね。

地代を引くと、母の取分は5.5万円ですが税金も要りますし、なにせ古い家なのでちょこちょこと

修理が必要で、家賃が安い分、それ程無理な事は言われませんでしたが、それでも、雨漏りや水道などの修理は借家存続に関わるので、仕方の無い事でしたね。

それでも、専業主婦のお小遣いとしては十分な金額だったと思います。

しかし、1995年(平成7年)に阪神・淡路大震災が起きました。

ここで余談です。

1995年1月17日は我が家(自宅)のリフォーム開始日でした。

主に2階のリフォームでダイニングキッチンを2階に移動する物でした。

次男が生まれて常勤の仕事を辞め、専業主婦になり5年

1階の暗~いリビングに1日の大半を過ごす事に嫌気が指して、明るい2階リビングダイニングを移す計画です。

地方に暮らす私達には、バブルの経験はまるで無かったと、ず~と思っていましたが、今考えると金利がバブルで

私の働き出した40年前の金利は、年9.5とか8.5とかで郵便局や信託銀行に10年定期にすれば、倍になる程です。

私が次男を生んで仕事を辞めたのは、母が祖父に介護が必要になり、今まで散々世話になった恩返しに手が要る為

子供達を見て貰えなくなった為です。

家は結婚前に主人の実家が建ててくれましたので、ローンも無く、結婚以来8年間共稼ぎした預金金利で、そこそこ優雅に暮らせる予定でした。何でも予想通りには行かない物ですよね。

未来の私が過去の私に言葉を掛けるのなら「無駄使いはするな!」ですね。

まさか、金利がウソの様に下がり、主人のお給料が全然上がらないなんて

その頃の私は、夢にも思っていませんでした。

しかし、現在の私も客観的に見て、未だに無駄使いの多い人間です。

これって死ぬまで変わらない気がする・・・。

続きは「ハイツ その5」へ。

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