笑顔で過ごす🌼60代主婦の優待生活と日常のエピソード

阪神・淡路大震災・不幸中の幸いです。ハイツが建つまで その7。

「ハイツ その6」で借地を母と購入した所まで記載しました。

この土地は大きな道路に面した土地では無いです。

戦前に区画整理した、段々畑のような土地です。

家の前は軽自動車がなんとか、通れる位の道幅です。

新しく建てる家は、現在の道路規定に基づいて

セットバックして、道幅を確保しなければなりませんが

昔の家はそのままです。

借家の土地は角から2軒目なので、大きな重機は通れません。

でも、幸いなことと言って良いのか・・・。

斜め前の角地が今回の震災で取り壊されており、大工さんが使用許可を貰ってくれました。

その土地は100坪近く有りましたので、クレーン車やミキサー車など

大型重機を使て、ハイツを建てる事が出来ました。

借家を借りて頂いていた、世話好きの社長さんの紹介で

歩いて10分程の所に有る大工さん(工務店)に頼む事になりました。

1階はそのまま社長さんが借りてくれる事になりました。

息子さん夫婦も後を継ぎ、一生借り続けてくれる約束でした。

1階は作業所と8畳の事務所です。天井の照明は明るく

作業しやすい様に、蛍光灯がずらりと並び、大型エアコンを設置して

電動ミシンが何台も並ぶ配置です。トイレは1つ、簡単な給湯設備

玄関も作業所らしく大きな玄関が設えられて

設計図から全て社長さん仕様になりました。

この選択も、後々大きな誤算を生む事になりますが

その話は、後日順を追って書き進めたいと思います。

2階と3階は各階に、2DKの部屋が2室づつで計4部屋となりました。

総額4000万円の建築費でした。

土地を買い、お金は残っていませんので、全額銀行に借りました。

母はこの時、自分一人の名義で建てる積りでした。

お金を借りるのは、私と二人で借りる事にすると言います。

確かに、私の名義になると不動産収入が入れば、

主人の扶養には入れなくなります。

保険も年金も自分で掛けなければいけません。

正直悩みましたが、相続する時、他の借家も家も有り、

かなりな相続税で現金を払わなくてはいけません。

相続税が無ければ、物納しか有りませんからね。

ハイツが半分だけの贈与なら、何とかなると思い

母と私の共同名義にする事に決めました。

母は全て自分の物にしたかったようで、半分ケンカになりましたね。

だから今でも、ハイツの家賃は全て母の通帳に入り

後から半分を、私の通帳に振り込んでくれます。

必要経費も折半です。

銀行の担保は両家の家とハイツの土地です。

保証人は主人で、すんなり融資して貰えました。

ちなみに、父はハイツ経営に反対でした。主人はまるで興味ナシでしたね。

続きは「ハイツ その8」へ。

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