「ハイツについてその2」で祖父から母に
生前贈与で頂いた2軒の借家の話の続編です。
2軒有る借家の、大きい方(歴代社長が借りる。)の家の最後の
住人は、零細企業の社長さんでしたが、自分の持ち家は、2軒隣に有り、この家は作業場に使う事になりました。
母は家相をとても気にしていましたので、ここにご夫婦が住まない事を、大変喜びしました。
人を何人か使い、制服やお洋服の裁断・縫製の作業場です。
1階を作業所にして、2階を材料置き場として使っていました。
手広く事業をしていたようですね。
地域にも顔が広くて、自治会長やPTA会長など自営業で自由が効くし、人のお世話も好きだったのでしょうね。
もう1軒の方は高齢の姉と弟が40年近く住んでいたようです。
1986年に「統制令」が廃止されてから、徐々に地代が上がりました。
この頃には、土地神話地代です。
土地ほど価値のある物は無い、買って持っていれば必ず値上がる と言う時代になっていましたからね。
特に神戸は、電車の沿線で土地の価格が違います。
一番高いのが、阪急電車沿線です。これが山手と呼ばれています。
映画にもなりましたが、阪急電車沿線の風景はのどかですね。
次がJR(旧国鉄)沿線です。
そして最後が阪神沿線となり、下手(浜手)と呼ばれていました。
山から海へ順々に土地の値段が違い、生活層も違い家賃も違っていました。
2軒の借家は、阪急沿線に属していました。
いわゆる山手(山の手)に属しました。
だから地代が徐々に上がるのは、仕方のない事でしたね。
地主さんは沢山の土地を持っている方で、少なくても30年前にはすでに
管理会社を作っておられましたね。
まだ、ハイツには、たどり着いていませんが、続きは明日へ
「ハイツ その4」へ続きます。