1月17日・29年前の阪神淡路大震災。
その日、私たちの暮らす明石市の家も大きく揺れました。
幸いにも、家は小さなヒビが入る程度でしたが、神戸にある借家2軒は、
一つは全壊、もう一つは半壊してしまいました。️
その2軒の家は、母が祖父から生前贈与されたものでした。
震災当時、母は64歳。
今の私とほぼ同じ年齢です。
父もまだ健在で、電車とバス、徒歩を乗り継ぎ、現地を見に行っていました。♂️
そこに住んでいなかったため、罹災証明をもらうのも大変でした。
土地は借地だったので、地主さんとの交渉を経て、すぐに買い取りを決めました。
その後、大工さんと相談し、建蔽率いっぱいの3階建てのハイツを建てることにしました。️
資金は私も半分出し、共同名義にしてもらいました。
当初、母は自分の名義にこだわりましたが、
私も引かず、最終的には2人の共有財産になりました。
この決断は、後に小規模住宅制度が適用され、母の相続がスムーズに行われることに繋がりました。️
普段は母の意思を尊重していましたが、この時だけは奇跡的に良い判断ができたと思います。
今、私が同じ状況に遭遇したら、母と同じ行動力が取れるかと考えると、自信がありません。
でも、1月17日の阪神・淡路大震災当日には、亡き母の決断と強さをしみじみと思い出しました。
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