母(85歳)から電話が有りました。
「他でもないんだけどね・・・。」
明るく元気な声ですから、また「旅行?」「観劇?」と思いながら用件を聞く、カラオケ喫茶を引き継ごうかって話です
月に1~2度通う「カラオケ喫茶」のママが、持病も有って8月一杯で閉店するようです。
そこを引き継いで、前にママが辞めさせた女の子(4~50歳ですけれど。)に任せて、「カラオケ喫茶」をしようかと思うけれど、あんたどう思う?
「家賃は8万円・カラオケレンタル料金4万円は掛るけれど」いやいや女の子に任せて、出来るぐらいならママがするでしょう。
「椅子や内装も綺麗にしたばかりだし」それもこちらから欲しいと言えば、吹っかけられるよ。
電気代もクーラー点けっぱなしだと、高いよ!
人任せの店なんて、流行るわけないよね。
ちょっとした距離も歩けないお母さんが、毎日お店に通えないでしょう。
私も仕事しているし、今の仕事は定年も無いし、必ず決まったお給料貰えるし、今から水商売する気無いからね。
そもそも私は、カラオケなんて、趣味ないしね。
儲けが出るか出ないか判らない商売の為に、今の仕事辞める気ないからね。
と話してようやく、母は「カラオケ喫茶」を諦めました。
何でも私を当てにする人なので、私が全てを取り仕切される所でした
あまり流行っている、お店ではなさそうですしね。
4~50年程昔の話ですが、父が勤めていた会社が、売りに出された事が有りました。
大手企業の下請け会社です。
下請けと言っても、神戸に本社が有り社員もそこそこ居たと思います。
退職後に企業年金も頂いていたので、まあまあの会社だと思います。
父はその会社の創業から居たので、NO3位の立場でした。
会社は黒字だったのですが、社長が個人的に何かの理由で借金を作っての売却です。
売却額1000万円です。
もちろん今の1000万円とは値打ちが違います。
確か家が一軒500万円位で買えたと思います。
これは売主が、売り急いでいる金額なので、特別お買い得価格でした。
我が家にはそのお金は有りませんでしたが、家を抵当に銀行に借りても良いし、母の両親はお金持ちだったので、頼んで借りても良いし。
黒字会社ですし、仕事に精通している父なので、社員がそのまま残ればやって行けます。
母は猛烈に、父を説得しました。
しかし内弁慶の父は、絶対に首を縦に振りませんでした
母は昔から身体が弱かったので、父がやる気にならなければ、流石に出来なかったです。
私もまだ学生だったので、横で聞いていただけでしたが、私が成人していたなら、母の肩を持っていたでしょうね。
そうなっていたら、私の人生も大きく変わっていたでしょうね。
その会社は今でも、会社名もそのままで、存在しています。
父も経営者が交代した後も、働き続けました。
退職後も70歳まで、週1~2回は仕事を引き受けていましたね。
電車で神戸に出掛ける時は、その大きな看板が見えるので「お父さんは大きなチャンスを逃した。」と母から何度も聞かされました
まぁその気性が、ハイツを建てる原動力になったのでしょうね。
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